断熱・防音・結露防止などのご依頼、新築・リフォームどちらでも承ります。



コラム

第5章 対抗としての断熱(山本論)

現行の高気密工法は、その入り口で全く間違ったので、その対抗策を示さなければ、単なる非難になってしまうので、山本論を述べなければならない。

1.透湿を知る

何よりも知って欲しいのは、透湿とは何を指すのか。
動物、植物、生物は全て分子構造(ナノメートル、百万分の1ミリの世界)からなりたっている。
そのところが、一部を除いた化学や鉱物には真似の出来ないもので、成長する、大きくなるには分子構造が必要だからである。

例えば、樹木は直径が1~2メートルあっても、水蒸気は、いや水蒸気だけは自在に通り抜けることが出来る。それを呼吸すると言うのだが、その呼吸は我々が呼吸するものとは根本から違うものだ。調湿ともいう。前述したように、火山灰の中には噴出時に、物凄い高温、膨張、圧縮によって、分子構造に似た組成を持つので、透湿するものもある。

珪藻土などは、その中でも特異なもので、川の中で石などに生えている藻である。世界中に何百種類かあるそうだが、鮎などの川魚は珪藻を食べている。その藻が洪水などで流されて、一箇所に堆積そのまま何千万年かを経て化石になった。化石になっても透湿性能を失っていない、そのことに感嘆する。

その昔、奈良正倉院の校倉作り宝物殿は、梅雨時の湿度の多い時は、材の隙間が閉じて湿気を塞ぎ、冬などの乾季には緩まって空気が流通する。などと、もっともらしい説明があったものだが、あんな幼稚なことを今も信じているようでは埒があかない。あれは中央アジアにおけるログハウスというより、物置に過ぎなく、カナダのログハウスが丸太によって構成されているのに対して、校倉作りでは独特の形の板になっているだけのものだ。

木は2重3重に、たとえ1メートルの箱を作り、絶対的な高気密にしても水蒸気は易々と透過する。温度と湿度は高いところから低いところへ必然的に流れる自然現象である。それを阻止すれば木は呼吸出来ないので、崩壊に向かうしかない。

2.結露を知る

風呂の不思議、私のところでは、お風呂に湯気が立たない。いや、よく見ると湯面から10センチほどは微かに湯気を見ることが出来る。それから天井までは透明な空間であることが分かる。
湯気という液体は、急速に水蒸気という気体に姿を変えて、ガラス窓に殺到するように突進しながら、壁や天井に貼り回したヒノキの無垢板に消えてゆく。
ヒノキ板の外側はセルローズファイバー、TIP、そとん(シラス火山灰)壁だから、水蒸気は何の障害もなく、物凄い速さで壁の中を通り抜けてゆく、そのため風呂のガラス窓やアルミサッシにも一滴の水滴も付着することはない。

私のところは平成7年2月1の竣工であるから、満2年をすぎたが、だが、風呂の壁や天井には染みひとつなく、昨日竣工したような感じだから、泊り客の中には「大変ですね、毎日、毎日お風呂の中を掃除するのは・・」??
一度も掃除の手を入れたことがないのだから、質問の意味がわからなかった。
風呂の天井はどのようにしても雫が滴り落ちるから、バスリブ(プラスチックの板)を天井に張ればよい。それが間違いの第一歩だった。ついには、日本中のお風呂はプラスチックになり、日中もポタリポタリと雫が落ちて誰も怪訝に思わなくなった。子供のときから風呂の中では水滴が落ちてくるものと、無知な建築屋が無知な消費者を洗脳したのだ。

私のところの風呂は、壁の建材が内外装ともに自然材であるかぎり「透湿」することを証明している。住まいの中で水蒸気が1番多い、この風呂で結露しないのであるから、その他の部屋で一滴の雫も見かけない。ということは、この住まいにおいては結露しない。結露しなければ住まいは、どれほど長持ちするのか。私は確かな根拠はないが、300年以上と思っている。当然、外壁の塗り替え、屋根の葺き替えなど、何代かに亘り補修程度のものは発生しても、根本的な材の寿命を左右するものではなく、基礎のコンクリートの崩壊が一番早くなる可能性のほうが高い。コンクリートの耐久年数は100年ともいわれているが、事実は40年足らずで、公団の下駄履き住宅がどんどん壊され建て替えが始まっているではないか。だから、これは私の代で予測することではない。コンクリートや電気配線、上下水道管などのライフラインがどれほど持つものなのか。いずれにしても、建て替えるほどの費用が発生することはない

住まいは200年以上保って普通にしなければ、日本は、このままでは疲弊する。住まいは7~8代ほど楽々保てば財産になる。昔のような大家族にすることはともかく、3~4代が共に暮らせば、母親が子供を川に投げ込み、床に叩きつける。兄が妹を殴り殺し、寸刻みにするなど、鬼畜も顔をそむけるような猟奇事件が起きるわけがない。日本の疲弊は住まいからすでに始まっているのだ。 このままでは「美しい日本」も出来ないし、幸せにもならない。 日本人はたった1軒の「獣宅」を建てるためだけに生まれてきたのではない。どうしてそれが分からないのか。家は300年が普通にならなければ、国家も国民も幸せにはならならないのだ。
断熱屋 山本順三
目次へ戻る